大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪高等裁判所 昭和28年(ネ)1191号 判決

控訴人 被告 田畑耕造

訴訟代理人 赤木章生 外一名

被控訴人 原告 池田百合子

訴訟代理人 並山興道 外一名

主文

(一)原判決を次のとおり変更する。

(二)控訴人は被控訴人に対し金一六〇、〇〇〇円及びこれに対する昭和二八年八月七日以降右支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

(三)控訴人は被控訴人に対し原判決添附物件目録記載の物件を引き渡せ。

(四)被控訴人のその余の請求は棄却する。

(五)訴訟費用は第一、二審とも控訴人の負担とする。

(六)被控訴人が(二)について金三〇、〇〇〇円、(三)について金一〇、〇〇〇円の担保を供するときはそれぞれ仮に執行することができる。

(七)控訴人が(二)の仮執行について金八〇、〇〇〇円、(三)の仮執行について金一〇〇、〇〇〇円の担保を供するときは、それぞれこれを免れることができる。

事実

控訴代理人は「原判決を取り消す。被控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担する。」との判決を、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。

被控訴代理人の陳述した本訴請求の原因事実は原判決摘示のとおりである。

控訴代理人は「控訴人は昭和一七年五月頃婦人会六曜会の世話により被控訴人と知り会い、その後数回交際を重ね、その間被控訴人はその母とともに控訴人宅に度々来て控訴人及びその母と面接した。その際控訴人の母は控訴人家は食パンの製造業であつて、その営業は弟重次の営業で控訴人はこれを手伝つていること、および営業の性質上毎日夕方より夜十二時頃まで仕事をなし、朝早くから午前九時頃までの間に製品の配達をするものであることはよく承知していてもらいたいと話しておいた。同年九月末当事者双方が婚姻を承諾し、控訴人は同年一〇月二日結納として金四〇、〇〇〇円を贈つた。挙式は控訴人の方でも何かと準備の都合もあることだから一ケ月程後にして貰いたいと申し出たが、被控訴人方は善は急げで早々に取り運ぶようとの希望で同月八日に挙式した次第である。被控訴人は結婚当夜より身体の調子が悪いとて自ら持参した粉薬を飲み、苦しそうなので、控訴人はその夜は情交を見合わせた。翌日からもやはり同様で薬ばかり飲み不快そうな毎日が続いた。控訴人は十一日に初めて被控訴人と情交しその後二回程関係したが、被控訴人は常に不快らしい態度なので控訴人の気分を害し満足な情交は一度もなかつたのである。被控訴人は入家当初より身体の具合が悪いとて午前九時頃まで寝ていることは度々であり、その起居する二階一室だけの掃除で正午までかかり、できるというミシン裁縫等も満足にできず、食事は全部控訴人の母つねとその娘が担当し、被控訴人は一〇月一八日夜分から工場の手伝(物運び)をしたが控訴人及び弟重次は毎夜一二時まで仕事をしているのに、被控訴人は常に一〇時には就寝している。但し配電の都合で一度だけ夜分の一時になつたことがある。被控訴人は非常に口達者で、控訴人の母が少しでも注意すると、男女同権とか人権云々を口にして三倍位言い返すという有様である。被控訴人は一〇月一二日里帰りをして一六日帰宅し一八日より工場の手伝をしていたが、帰宅後間もなく二回にわたり工場で嘔吐(姙娠のための)を催し、工場裏の溝に走つて行き吐いていた。同年一一月一一日被控訴人はジンマシンのため医師の診断を受けたいというので、控訴人は五〇〇円を持たせてやつたところ、被控訴人は階下に誰もいないのに表入口を開けたまま外出し、帰りも非常におくれたため、控訴人の母が表を開けたまま外出しては用心の悪いことや用事以外他に廻るのであればそれを初にいうて外出するようにと注意したところ、被控訴人は突然狂人のようになり、自分の室の箪笥等の抽斗を全部引き出し中の物を全部屋内にぶちあけ「こんなゴテゴテいう家には馬鹿々々しくておられん今日限り帰つて来ません」というて飛び出したのである。控訴人の母が頭髪をもつて引き廻したとか「パンパンや云々」といつたとかその他控訴人等を悪しざまにいう被控訴人の主張は大部分虚構の事実である。被控訴人は一一月一一日実家に戻つたまま控訴人方に帰来せず、その後一一月一四日頃被控訴人は控訴人の出先へ来て二人で散歩しながらの話に、被控訴人は婚家には帰らぬ結婚を解消してほしいと申し出で、控訴人も困つていた矢先だつたので、解消に同意したところ、被控訴人は損害金を何程出すか、被控訴人の父は裁判でもして家も何も取るというておるがどうするかというので、控訴人は損害なんか少しも出す気はないと断つた。被控訴人は一一月一八日に内容証明郵便で自分の至らなかつたことを認めて嫁入道具の返還を求めて来たが、控訴人は右損害賠償云々の言があつたので全部円満解決の上返そうと思い右返還要求に応じなかつたところ、一一月三〇日の内容証明郵便で初めて「姙娠二ケ月である。胎児の処置について返事せよ、場合によつては、被控訴人は民事訴訟の外脅迫、結婚詐欺、衣類等の横領罪で控訴人に対し、刑事上の告訴をする考えである」旨を申して来た。控訴人は、これによつて被控訴人が姙娠していたため、これを隠して結婚を急ぎ、婚姻当夜から身体の調子が悪いと薬を用い、工場で嘔吐したわけが判つた次第である。以上の次第であつて控訴人と被控訴人との短日月の結婚生活の破綻の原因は、かえつて被控訴人の日常の言動行為が妻としてふさわしくなかつたことにあり、その責任は被控訴人の負うべきものである。控訴人の弟田畑重次の製パン数量は毎日約二〇貫金五〇〇〇円内外の売上げで控訴人はその営業の手伝をしている。居住家屋は控訴人の所有名義であるが他に財産はない。」と述べ、これに対し被控訴代理人は「被控訴人の昭和二七年一〇月の月経初日の予定日は同月一一日であつて事実その日から月経を見たのであるが、月経日を避けるために控訴人が一一日頃の挙式を望んだのを、数日早めて八日に挙式することを決めたのである。控訴人と被控訴人は初夜はもちろん同棲中ほとんど毎夜夫婦の交りを続け、月経のあつた右一一日でさえ、控訴人は被控訴人の拒みを斥けたのである。被控訴人は別段身体の調子は悪いことはなく控訴人方に嫁して以来家事の外製パンのため日中より深更まで粉をこねたり目方を計る仕事を、なれぬ身に疲れを堪えて従事した。控訴人家の炊事は控訴人の母、姉、妹が司るところであつて、被控訴人が主として振舞うと手厳しく叱られるので、母達の指示に従つて手伝う外ない状態であつて被控訴人が怠けたり、寝過したりしたことは全然ない。被控訴人が姙娠を隠して控訴人と結婚し、度々嘔気を催したとか、控訴人と被控訴人が昭和二七年一一月初頃出先で会つたときに、被控訴人から結婚解消を申し出て損害賠償を求めたというのは全く虚構も甚だしい。その他被控訴人の従来の主張に反する控訴人の主張事実は否認する。」と述べた。

証拠として被控訴代理人は甲第一、二号証を提出し、当審での証人奥田次郎、橋本巖、池田シズ、池田辰之助、藤倉誠の各証言及び被控訴本人の供述を援用し、乙第一号証、第二号証の一、二、第三号証の各成立を認め、控訴代理人は乙第一号証、第二号証の一、二、第三号証、検乙第一号証を提出し、当審での証人田畑美重子、田畑つね、田畑重次の各証言、控訴本人の供述を援用し、甲第一、二号証の成立を認めた。

理由

まず損害賠償の請求について判断する。

被控訴人が昭和二七年五月頃京都市内四条大宮西入寺院所属婦人会六曜会の世話で控訴人を知り、交際を続けて婚約し、金四万円の結納を受けて、同年一〇月八日平安神宮で結婚の式を挙げて事実上の婚姻をし、自来控訴人方に同棲したが、同年一一月一一日被控訴人は実家に戻り、その後控訴人方に復帰しないことは当事者間に争いがない。そして成立に争いのない甲第二号証に証人奥田次郎、橋本巌、池田シズ、池田辰之助の各証言、被控訴本人の供述、控訴本人の供述の一部を総合すれば、次の事実を認めることができる。

被控訴人(昭和五年三月生れ)は京都高等手芸女学校を卒業後昭和二一年一〇月からずつと結婚まで京都中央電話局の交換手として勤務し、控訴人(大正一〇年一一月二〇日生れ)と数ケ月の真面目な交際の後、結婚生活に入り、自来夫婦仲は格別悪いことはなかつた。しかし控訴人方には昭和一六年夫重次郎に先立たれた控訴人の母つね、一旦他家に嫁して戻つて来た姉弘子、婚期の来た妹三重子、控訴人方の製パン営業の名義人である弟重次が同居し、因習的気風、封建的色彩が極めて強く、母の意見が良きにつけ悪しきにつけ支配的であつて、そこへ初めて他人である被控訴人が長男の嫁として迎えられたわけである。被控訴人には、さほどの欠点も落度もないのに、義母つねは被控訴人を気に入らず、結婚後何日も経たない中から被控訴人のすることなすことに一々文句をつけ、「お前は息子の嫁になる資格はない。女中位のもんや、きれいな二階の座敷に寝かせるのはもつたいない。廊下で沢山だ。世の中に出で働いていた女は嫌だ。」等と侮辱し、被控訴人と母との板ばさみになつた控訴人の「母は狂人だからさからわずに聞き流していたらよい。心臓強く要領よくやつて行くように」との慰めの言葉に、被控訴人は控訴人の愛を信じて、苦しみを堪えて毎日を過して来た。その控訴人も母、姉、弟等が一団となつて、被控訴人を虐めても、被控訴人をかばうでなし、仕事が急がしいとてその場から逃げ出す有様についに被控訴人は控訴人に対し、夫婦で別居したいと申し出たところ、これを聞いたつねからやにわに「大事な息子をお前なんかにやれるか。お前は家の女中じや、出て行くならお前一人で行け、この世の中には女は掃く程居る。」とののしられ、はげしい悲しみと憤りをおぼえたが、他家に嫁した身、実父母や姉妹、親族のことを思うと、今更実家へ戻ることもならず、じつと堪え忍んだ。昭和二七年一一月一一日被控訴人は体に「ジンマシン」が出たので、控訴人に「薬局へ行つて注射をして貰つて来る」と断つて出掛け、帰つたところ、義姉弘子は「この忙しいのに何処へ行つて来たのか、どこかでブラブラ遊んでいたのだろう。」と難詰し、義母つねは血相を変えてその場に来て「こいつは一寸もいうことを聞かない。憎い憎い奴だ殺してやりたい」と叫びつつ被控訴人の頭髪を掴んで引張り廻し、ようやくこれを振り切つて二階の居間に逃げ込もうとするのを、弘子は被控訴人の身体をつかんでこれを妨げ、控訴人は弘子の手を引き放して呉れたが、そのまま集金のため外出した。その後弘子とつねは被控訴人に対し「お前は以前パンパンをしていたやろ。」「お前は派違いの人間や。」「お前なんかにこの耕造の家がやれようかい。」といわれのない悪口雑言の限りを尽し、堪りかねた被控訴人は「一寸勝手をさせていただきます。」と挨拶して同日午后四時頃実家に帰り、今までの辛い事を実母シズに告げ、「一旦嫁に行つたら辛くとも辛棒せよ。一人では帰りにくいだろうから控訴人が迎えに来るのを待つように。」との母の言葉に、控訴人の来訪を数日間期待したが、来ないので同月一四日株取引の相談に京都市内四条烏丸の大和証券株式会社に出向いている控訴人に面接してその気持を確めたところ、「お前と母等との間は見ていられないし、家に帰つて貰つてもまたゴタゴタが起るに定つている。今だつたらお前も年が若いから、今の中に別れた方が良いのではないか」との返事に被控訴人は暗然として実家に帰つた。同夜実母シズに伴われて控訴人方に赴き、店の土間でシズは「娘がつまらぬことをしましてどうも済みませんでした。」と謝罪して復帰の許諾を求めたが、控訴人の母つねは、前記のような悪口雑言を繰り返すばかりで、被控訴人母娘を座敷に入れもせず、控訴人に会わせようともせず、被控訴人の懇願に耳を藉さずに奥の間に引きこもり、ようやく出て来た控訴人も「母が別れよというし、自分としてもこのまま二人で暮して行くつもりはない。」と言明した。被控訴人母娘はもうこれまでと詮方なく諦めて帰る外はなかつた。

以上の認定に反する控訴人挙示の証拠は信用しない。右事実によれば、控訴人は被控訴人との間に成立した婚姻予約を、同棲一ケ月の昭和二七年一一月一四日、控訴人の母つねに同調して、破棄したものといわなければならない。

控訴人は、控訴人には右婚姻予約を破棄するについて正当の理由があると抗争するが、これに副うような、証人田畑つね、田畑美重子、田畑重次の各証言、控訴本人の供述は前掲各証拠に比照し信用できないし、その他控訴人の全立証によつてもこれを認めるに足らない。殊に被控訴人は他男と関係して姙娠中であるのを秘して控訴人と結婚したとの控訴人主張事実は、前記被控訴人挙示の証拠に成立に争いのない甲第一号証及び乙第二号証の一、二並びに証人藤倉誠の証言を総合すれば、全然無根のことであり、被控訴人は控訴人と結婚して懐胎し、胎児の処置について昭和二七年一一月三〇日控訴人の意見を求めたが何らの返答を得られず、同年一二月四日医師藤倉誠より姙娠中絶の手術を受けたものであることが明らかである。控訴人が真にそうでないと信じているとすればそれは全く明白な誤解と断じなければならない。

そうだとすれば控訴人は本件婚姻予約を破棄するについて正当の理由を有せず、右予約不履行により被控訴人が精神上の苦痛を受けたことは明白であるから、被控訴人に対し、これを慰藉するに足る相当の金員を支払うべき義務があるものである。よつてその数額について判断するに、前認定の諸事情に本件弁論に顕われた諸般の事情を参酌し右慰藉料の額は金一六〇、〇〇〇円をもつて相当と認める。従つて被控訴人の本件損害賠償の請求は、右認定の金員及びこれに対する本件訴状送達の翌日であることが記録上明確な昭和二八年八月七日以降右支払済まで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める部分は正当として認容すべく、その余は失当として棄却すべきである。

次に物件引渡請求について判断するに、原判決添付の物件目録記載の物件が被控訴人の所有であり、控訴人に嫁するに際つて被控訴人が控訴人方に持参したもので、現在控訴人が占有するものであるとの被控訴人主張事実は控訴人において明らかに争わずかつ弁論の全趣旨によつても争うものと認むべきものもないから、これを自白したものとみなす。右事実によれば右物件の引渡を求める被控訴人の請求は正当として認容すべきである。

以上の次第で原判決は変更の要があるので、民事訴訟法第三八六条によりその一部を取消し、訴訟費用の負担につき同法第九六条、第八九条、第九二条、仮執行の宣言及びその免脱の宣言について、同法第一九六条を適用すべきものとする。なお仮執行の宣言について一言する。本件金員の請求と物件引渡の請求はひとしく財産権上の請求ではあつても、その原因と目的及び体様を異にし、従つてその仮執行によつて控訴人の蒙ることあるべき損害発生の蓋然性及び損害の程度を異にするから、仮執行の担保の要否及び、金額を異にするものというべきである。それ故、両者に仮執行の宣言を附すべき場合でも、担保の有無及び金額は各請求について別個に判断して定めるのが相当であつて、両者を一括してこれを定めるのは、まず、いずれか一方の執行をするについても、定められた担保の全額を供託しなければならなくなることからみても、妥当ではないと考える。また仮執行の宣言は本案判決を変更する判決の言渡に因りその変更の限度において効力を失うことは、民事訴訟法第一九八条の規定によつて明白であるが、これによつて失効するのは仮執行の宣言自体であつて、仮執行のために定められた担保額も当然に変更を受け按分的に失効するものではない。そして仮執行の宣言は申立がなくとも、職権で附し得るものであり、原判決を変更することによつて仮執行の宣言部分をも変更する必要があるものと認められるときは、仮執行宣言に関する原判決の変更は、控訴審判の範囲を不服申立の限度に制限した民事訴訟法第三八五条の規定にかかわらず、これをなすことができるものと解すべきである。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判長判事 田中正雄 判事 神戸敬太郎 判事 平峯隆)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例